大畠 雅人
Masato Ohata
大畠雅人氏 ロングインタビュー
第1回 2017-07-10 公開
第2回 2017-07-11 公開
第3回 2017-07-12 公開
第4回 2017-07-13 公開
第5回 2017-07-14 公開
PROFILE
1985年生。千葉県松戸市出身。
幼少時より絵を描くのが好きで、小学3年生より絵画教室に通い油彩画を学ぶ。またバイオリン教室にも通う芸術少年であった。
美術の道へ進むと決め、高校卒業後の進路は東京藝術大学一本に絞る。しかし美術予備校に通い対策に明け暮れ、二度挑戦するも不合格。3浪を諦め、武蔵野美術大学に進むことになる。大畠はこれを「今でもひきずるほどに、大きな挫折だった」と語る。
武蔵野美術大学では油絵学科に進み、銅版画を専攻。しかし本人の言う「挫折による落ちこぼれ意識」から「不真面目な生徒」と化してしまう。授業はそこそこに演劇サークルに所属、演劇の世界に深くのめりこんでいくことになった。特に夢中になったのが「インプロビゼーション」という、難易度の高い即興劇だったという。こうして学生時代は演劇に明け暮れる。
卒業後はアルバイトをしながら演劇活動を続けるも、二十代半ばを過ぎた頃から将来に不安を感じてきた大畠は、「同大学の卒業生でフィギュア原型師になった者がいる」ということを知る。それまで原型師という職業の存在は知らなかったが、幼少時に粘土いじりが好きだったことを思い出した。そこで見よう見まねでアニメキャラクターのフィギュアを数体制作。原型制作会社にポートフォリオとして持ち込み、アルバイトとして採用されることとなった。
半年ののち正社員として登用され、デジタル造形部に所属する。武器や装備品といった小物を制作し、デジタル造形のノウハウを学んでいった。勤務外の時間は粘土によるアナログ造形を学び、先輩である藤本圭紀氏(※1)の影響を受け、2015年冬のワンダーフェスティバル(以下WF)でディーラー名「まぬるねこ」、しゆまい名義で初のオリジナル造形作品となる「contagion girl」【画像】を発表。ゾンビに齧られた少女をモチーフとしながらも、品のある独特の空気感を持つ佇まいは新人の初作品とは思えず、造形ファンの間で話題となる。
続く2016年冬のWFで、大畠曰く「これで人生が変わった」というオリジナル作品二作目「survival:01/ Killer」を発表。前作とは異なりデジタルで造形されたこの作品は、たちまちSNSなどで話題となり大ブレイク。大畠は一躍人気原型師となり、世界的に注目を集めることとなった。
同年夏のWFでは「survival:02/ Collector」【画像】「survival:03/ Undertaker」【画像】の2作品を発表、こちらも高い評価を獲得。2017年冬のWFでは、なんと「survival:04/ Hunter」【画像】、「Wind Rises」【画像】そして「Brack Rock City」【画像】という3作品を一挙に発表。驚愕の制作スピードとなおいっそう高まるクオリティで、熱狂的なファンをさらに獲得し、知名度を高めた。
高いデッサン力に裏打ちされた造形は言わずもがな、表情、ポーズ、服装や小物で見る者の想像力を刺激する巧みなシチュエーション作り。ただの巧さではない、造形物から放たれる圧倒的な魅力、強烈な個性。造形活動をスタートさせてから4年、オリジナル作品を発表してたったの2年。大畠は、これまでの蓄積が造形という手段で解き放たれた「造形という手段を知らなかった実力者」であり、この短期間で強いカリスマ性を放つに至ったのは当然といえるだろう。
この春、大畠は原型制作会社を退職し、フリーランスとなった。商業原型をこなしつつ、オリジナル作品も次々と生み出している。いったいどんな世界を見せてくれるのか。長い潜伏期間を経て、ついに造形という表現手段と幸福な出会いを果たした大畠の、さらなる展開が楽しみで仕方ない。
※1 幅広い守備範囲を持ち、すべてをハイレベルでこなす天才型原型師。商業原型の傍ら、オリジナル作品も精力的に発表している。Amazing Artist Collection 第三弾にエントリー。
■関連リンク
【大畠雅人 Twitter】
(テキスト/ 原田プリスキン)
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